今更になって気づいた。
なんて残酷な言葉を言ったのだろう。
あの頃の記憶はあまりない。
蓋をしたから…
目を閉じ、耳を塞ぎ、何も見ず、何も聞かず、全てから逃げ続けていた。
実の兄である修也からも。






甘き追憶 07







「そっか…そんな事が…河野も四方谷もご苦労様」
「いや…俺達はそこまで大変じゃなかったけど…が心配で…」

さやかとの件は一時的に解決し、亨と裕史郎は仕事へと戻った。
一通り仕事が終わった後、亨は実琴と秋良にも事情を説明した。
そしてはまだ戻ってこない。
すると教室の扉が開いて入ってきたのは意外な人物だった。

「有定会長?」

いつも余裕の笑みを浮かべている修也が珍しく息を切らして必死な様子で亨達を見た。

「……来てない?」
…戻ってきてないんですけど…」
「そっか……何かあったみたいだね。よければ教えてもらえるかな?」

重い雰囲気の四人を修也が見逃すはずない。
しばらくの沈黙。
そんな中、亨が口を開いた。
今回の件の原因は自分だと責任を感じたのだろう。
大方の事情を説明すると修也はんーっと静かに唸って考え込んだ。
しばらくすると修也は亨達に視線を向けた。

「なるほど…状況はわかった。それじゃ、これは生徒会長としてからじゃなく僕の一個人としてのお願い。
もしが部屋から一歩も出てこなくて食事の時すら出てこないようだったらすぐに坂本様に報告。
坂本様は報告を受けたらすぐにの部屋に…出来れば何か甘い物でも持って行ってあげて。
授業とか寮の方には俺が手を回しておくから何よりも優先して欲しいんだけど…いいかな?」

真剣な表情だけど笑みを絶やさない辺りが修也らしい。
だけどどことなく余裕のない雰囲気を秋良は見逃すはずもなく、言葉にしようとしたが出来なかった。
いつもと違う修也の雰囲気に少し戸惑いを感じたから。
普段は自信有り気な有無をも言わさない寛大な態度で破天荒な性格な修也がこんな表情をするほどは大きな存在なのだとわかった。

「…でも…俺なんかでいいんですか…?の部屋に行くのは…」

これだけは聞かなければならないと思った。
なぜ、自分なのか。
を励ますなら修也本人が無理でも他に誰か居たのではないだろうか。
例えば目の前の三人。
同じ寮生で姫の仕事も共にしている三人の方が適しているのではないのかと疑問に思った。
クラスの違う実琴は仕方ないとはいえ、亨と裕史郎が一番いいのではないか。
そう考えていたら修也がいつもの様に絶対な自信を持った笑みで秋良を見た。

「坂本様じゃないと出来ないから。坂本様には坂本様しか出来ない事をやってもらわないと」

ねっと言われるとただ頷く事しか出来ない。
そして修也の想いに応える為にも自分にしか出来ない事を成し遂げよう。
そう、心の中で決意した。



「……ん…」

カーテンの隙間から差し込む光に眉を寄せぼんやりとする意識の中、ゆっくりと体を起こしていく。

「………朝か…」

いつの間に眠ったのかわからない。
時計を見ると六時前。
今日は部活動を行っていない寮生はまだ起きるには早い時間で寮内は静かだ。
まだ覚醒しきっていない頭でとりあえず姫専用の風呂場へと向かっていった。
本来は入浴時間が決められているが寮長に昨日、体調が悪く風呂に入れなかったと説明したら特別に許可をしてくれた。
ぼんやりとする意識の中、シャワーを浴びると徐々に意識が覚醒してき始める。
昨日の事もゆっくりと思い出してきた。
亨の妹のさやかが来て裕史郎と亨と一緒にその妹と話し合いをした事。
その時に思い出した修也に向けて言った言葉。
ずっと蓋をし続けて逃げてきていた事。
忘れて居たかった過去。
決して思い出すことの無いように蓋をしてずっと目を背けていたのに。
今更になって思い出したあの時の修也の顔。

「……本当…今更…」

体と髪を洗うだけ洗いさっとシャワーを浴びるだけにし、部屋へと戻っていった。
そろそろ制服に着替えなければならない。
そう頭の中ではわかっていても体が動かない。
動きたくない。
学校に行くのが憂鬱だ。
学校自体が嫌なのではなく修也に会う可能性が高い場所へと行きたくない。
あの時の様にまた何か言ってしまうのが怖い。
謝ってもきっと修也との間に出来た溝は塞がらない。
今更になって後悔した。
何であの時、あんな言葉を言ったのだろうと。

「今まで…こんな風に思ったことなんて…なかったのに…」

この学校に来てから、秋良に会ってから自分がわからなくなっている。
感じた事のない想い。
今更になって修也と出来た溝が気になったり、今まで気にもしてなかった事が気になってしまう。
不安を感じたりする。
人に興味を持つことなんてなかった。
あの日から蓋をした。
ずっと隠し続けて逃げ続けていた過去。
それが秋良と会ってから人と接する事に楽しさを感じたりする自分に戸惑う。

「……っ…」

はベッドへと倒れこんだ。
枕に顔を埋めて瞳を閉じた。
全てから逃げる様に。



コンコンッと静かな部屋にノックの音が響く。
また眠ってしまったのかと瞼を擦りながら思った。
時計を見ると11時過ぎ。
今は授業のはず。
いったい誰が来たのだと考えつつ起き上がるのが面倒だと思った。
しかしわざわざ来たのだ、何か大切な用でもあるのかもしれないと思い体を起こしベッドから降りて扉を開けた。
すると扉の向こうにいた意外な人物にはポカーンとしてしまう。
言葉が出ない。
何か言わなければならないのに言葉が出てこない。
何て言えばいいのかわからない。

「こんにちは、よかった。元気そうで」
「…あ、秋良…」

精一杯の力を振り絞っても名前を呼ぶことしか出来なかった。
まさか秋良がこんな所にくるとは思わなかったから。
声が震えてしまった。
不思議と緊張している。
いつも顔を合わせている相手なのに緊張している。

「っ…何で…ここに?今…授業中じゃ…?」
「うん。が学校に来てなかったし、亨と裕史郎からご飯も食べに来てなかったからって聞いて。今、大丈夫?」
「…あ、うん…」

戸惑いながら秋良を部屋へ入れた。
急いでジュースを取りに行った。
秋良は気を使わないでと言ったがそれは自身が許せなかった。
何も用意できていないのだからせめて飲み物くらいは用意しなければと思ったから。
と言っても姫の特権でただだからたいした事無いが。

「朝から何も食べてないんだよね?よかったらロールケーキ買ってきたんだけど…食べる?」
「うん!食べる!」

甘い物が好きな
秋良の買ってきてくれたロールケーキをパクッと口に運ぶと思わず笑みがこぼれた。

「美味しい!」
「よかった。駅前まで買いに行ってよかった。午前中の授業ほとんどサボっちゃったけど…」

その一言でハッと我に返った。
考えてみれば今の時刻は11時過ぎ。
授業中なのになぜ、秋良がここに居るのか。
それを聞かなければならない事をすっかり忘れていた。

「…秋良…何で授業サボってまでわざわざ…」
「会長に…昨日のの様子がおかしかったって話したら…もしが学校どころかご飯すら食べに来てなかったら
何か甘い物でも持って会いに行ってあげてほしいって言われて。授業の方は会長から話をつけておくって言われてるから大丈夫だから」

修也の名前が出てきてはフォークを置いた。
胸がズキズキと痛んだ。

「…修也に…頼まれたからここに来たんだよな…わざわざ…別に…修也に頼まれたからって無理しなくてよかったのに…」

ギリッと奥歯を噛み締めた。
修也の名前が出てきた瞬間、胸が締め付けられて、どうする事も出来ずに秋良にも迷惑をかけてしまった自分が許せない。

、俺はね。自分でここに来たのを選んだ。確かに会長に頼まれたからってのもあるけど…
たとえ頼まれてなかったとしても俺はに会いに来たよ。心配だし…友達だから」

きっとその言葉は何の偽りもなく本音なのだろう。
秋良は嫌な事は嫌だとちゃんと断れる人間だ。
決して、修也に無理強いをさせられたのではなく自分の意思でここに来たのだ。

「…秋良…」
「ねぇ、。よかったら話してくれないかな?何にそんな悩んでるのか」

秋良の声が優しく心の中で響く。
秋良の声は温かくて優しい気持ちにさせられる。
不安と後悔で溢れている自分の心を優しく包み込んでくれる様な気がした。
震える声では答えた。

「っ…俺…酷い事…言ったんだ…修也に…」

ギュッと握り拳を振るわせた。
俯いて込み上げる不安から逃げ出したくなった。
それでも今、話さなければならない。
きっと話さなければ何もかわらないから。

「っ…ある事がきっかけで…俺…周りから逃げて殻に篭って全部に蓋をしたんだ…
逃げた…友達からも親からも…兄の修也からも…そしたら修也は心配して何度も何度も何があったのかって言ってきた。
その頃の俺…人と話す事が堪らなく嫌で…友達だから…親だから…兄だから…そんな理由で心配してくる周りの人間がたまらなく嫌だった…」
「…………」

秋良は何も言わずにの話を聞いている。
震えるから視線を逸らす事も真剣な表情で。

「それで…ある日…兄妹じゃなければよかったって…言ったんだ…その時の修也の切なそうに笑ってる顔を…
昨日、亨の妹が来た時に話し合ってた時に急に…思い出して…今更になって…気づいた…」

何て残酷な言葉を言ったのだろう…
そう静かに呟いた。
あの時、修也がどれほど傷付いたのか考えもしなかった。
今更になって気付くなんてあまりにも遅すぎる。

「…後悔…してるんだね。会長に言った事を…幼い頃わからなかった事が今になってわかる事って多いよね。
だけど…過ぎた事はやり直せない。だけど…謝る事は出来る。たとえ…許してもらえなくても何もしないよりは絶対にいい」
「…………」
「…だからも会長に謝るべきだと思う。本心じゃないとは言え…今のままじゃ…も会長も辛いままだから…距離が開いたままになるから…」

秋良は目を閉じ、続けた。

「たった一人のお兄さんなんだから…すれ違ったままなんて悲しいと思わない…?」
「…………」

は静かに頷いた。
どうして秋良の言葉こんなにも胸に響くのだろう。
欲しいと願った優しさ、ずっと言って欲しかった言葉。
本当の優しさが心に沁みていく。
空っぽだった心が満たされていく。

「…ふっ…っ…」
…?泣いてるの?」

自身驚いた。
人前で泣くとは思いもしなかった。

「っ…情けな…」

そう呟くと秋良はいつもの様に優しくほほ笑んで囁いた。

「情けなくなんてないよ」

溢れ出す涙は止まる事なくはただひたすら涙を流し続けた。
そして涙を掌で拭い顔を上げ笑顔で秋良に一言。

「ありがとう…」

その笑顔は偽りの笑顔ではなく心からの笑顔だった。
後日、は外泊届けを提出し一泊だけ家に戻る決意をした。

ピンポーン。

「…はいはーい…って…?」

珍しい来客に修也は驚きが隠せない。
いや、ここはの家でもあるのだから来るのはおかしくはないが寮生活を送っている彼女がなぜここにいるのかわからない。
何より先日、には避けられたにも関わらず。
困惑する修也に少し照れながらは口を開いた。

「…たまには家にも帰った方がいいかと思って…その…こないだはごめん…あと…ただいま…」

突然の出来事で珍しく修也は驚いていたがすぐににしか見せないのだろう。
曰くそんな修也の顔を見れるのも妹の特権かもと少し得した気分。
少しずつ、だけど確実に以前より二人の溝は埋まっていっている。
これも秋良のおかげなのだろう。
きっと本人は自覚していないだろうが。