「ん…」

サラッと誰かが頭を撫でてる。
優しい手つき。
指先から感じる温もりは心地よくて目を開こうと思ってももう少しだけこのままで居たいと願ってしまう。
誰なんだろう、私の頭を撫でているのは。
どうしてこんなにも優しくて温かいんだろう。
どうしてこんなにも安心できるんだろう。
そういえばどうして私は眠っているのだろう。
…そうだ。
紗重。
紗重に襲われかけた時に逃げようとした時に射影機と懐中電灯落としちゃったんだ。
それで…梯子上がった後急に視界が反転したんだ。
動かないと。
射影機取りに行かないと…
だけどもう少しだけ…もう少しだけこのままで…居たい…
この温もりに身を委ねていたい。
こうしていると何でだろう。
楓君を…思い出す…

「…かえ、で…くん…」
「俺は…ここにいるから…もう少し眠れ」






紅キ雫ニ滲ム蝶 18







「……ん…」

全身のダルさを感じながらも目覚めた澪はゆっくりと体を起こし辺りを見渡す。
辺りを見渡しても誰も居ず、澪はとりあえず地図を手に現在地を確認した。
どうやらここは立花家の双子の部屋。
桐生家の地下で紗重に襲われてからの後の記憶が曖昧で思い出せない。
ただハッキリと覚えている事は先程までずっと誰かが傍に居てくれた事。
優しく、頭を撫でられていた感触がまだ残っている。
温かく、大きな手の平。
温もりを感じる頭に手を乗せる。

「…誰だったんだろ…」

ふぅっと溜息をついて少し考え込んだがそれ以上に今、おかれている状況を再確認してハッとした。

「そうだ、!」

辺りを見渡してもの姿はない。
先ほどの地下で自分を助ける為に先に進ませた彼女は無事なのだろうか。
梯子を上がった後はすぐに意識を失ったのでの安否を確認できてない。
探しに行くにしても射影機を持たない澪は下手に動いて怨霊と出くわしては危険すぎる。
ましてや紗重などとあってしまってはどうする事もできない。
しかしこのまま動かないのも危険だ。
何よりが心配だ。

「…楓君…何してるんだろう…」

の事を考えていると急に楓の事が心配になってきた。
黒澤家で一度会ったきり居場所がわからない。
怨霊がいつ出てくるかわからないこの村で一人行動している楓。
彼はいったい一人で何をしようとしているのだろう。

「楓君…」

今、会いたい。
心から願ってしまう。
どうしてかなんてわからない。
だけど今、楓に会えたらこんな不安も無くなる気がした。

「…とりあえずどこかに行かないと…」

立ち上がり地図を広げて来た道へと戻ろうと扉に近づいたその瞬間…
ガタガタガタガタ!!

「っ!!」

激しい音と共に扉が揺れた。
扉は倒れている木材で引っかかって開かないようだ。
しかし依然としてガタガタガタと激しい音で扉を開けようとしてくる何者かに澪は体を強張らせた。

逃げ道を探すが他の扉は何か強い力で塞がれていて開く気配がしない。
この狭い空間の中、射影機なしで逃げ切る事など出来る可能性はほぼない。
ゴクッと喉をならし、息を呑んだ。
渇いた唇を噛み締め、震える手をギュッと握りしめた。
頬に嫌な汗がつぅーっと伝った。
その瞬間、ガタンと派手な音と共に扉が蹴破られた。

「っ…いやぁぁぁ!!!」

澪はギュッと目を瞑って近づいてくる気配に声を上げた。

「澪!?」
「え…?」

近づいてくる気配の声の主に澪は自分の耳を疑った。
この声の主は自分の記憶が正しければ彼でしかない。
だけどそんな偶然なんてあるのか。
戸惑いながらもゆっくりと視線を声の主に向けた。

「…っ…」

呼吸をするのを忘れてしまうほどの衝撃。
目を見開いて視線が外せなくなった。
ドクン…ドクン…
心臓の音がうるさい。
目の前がぼやける。
涙だとすぐにわった。
口を開く前に体が勝手に動いた。
声を掛けようとしたのに体が勝手に動き出し、目の前に居る人物に抱きついた。
ギュッと胸の辺りを掴み顔を埋めた。
ハッキリと感じる温もり。
耳に響く心臓の音。

「…み、お…?」

突然の出来事に驚きが隠せないのか少し声が裏返りかけている。
それら全てが澪を安心させ、震える声で名前を呼んだ。

「…かえ、で…くん…!」

掴んでいた手の力を強くした。
堪えきれずに流れた涙。
今は拭うこともせず突然の楓との再会にただひたすら涙を流したかった。
ずっと心配だった人。
先程まで心の中で渦巻いていた不安すらいつの間にか薄れていっていた。

「…澪、どうしたんだよ?何か…あったのか?」

突然抱きつかれた楓は戸惑い、どうすればいいのかわからない両腕は中を彷徨っていた。

「…よかった…よかった…無事で、よかった…!」

ボロボロと涙を流す澪。
楓はそんな澪を包み込むように優しく抱きしめた。

「…うん、ごめんな…」
「…………」

それからしばらく澪が落ち着くまで楓は優しく抱きしめていた。
徐々に落ち着いてきた澪は恥ずかしくなってきたのかそっぽ向いてツンッとした態度を取っている。
あまりにもわかりやすい態度な澪に思わず笑みがこぼれてしまった。

「わ、笑うこと無いじゃない!」
「わかりやすいなって思ってよ。ほら拗ねてないで行くぞ?」

澪の頭を静かに撫でた。

「あ…」

その撫でられた感触に澪は顔を上げ、楓を見た。
撫で方、温もり。
先程までずっと撫でられていた感触と全く一緒。

「楓君だったの…?ずっと頭を撫でてくれてたの…」
「…………」

そう言うと楓は無言になり背を向けた。
一瞬、気分を害したのか不安になっていたら楓は振り返り少し意地悪な笑みを浮かべた。

「秘密」

行くぞと言い前へと歩き出した。
澪はしばらくその場に立ち尽くした。
撫でられた頭に手を乗せると同時に
とくん、とくん、とくん
いつもより早い鼓動に頬が熱くなった。

「っ〜…」

パシッと両頬を軽く叩いて気合を入れ直す。

「…馬鹿…」

小さな声でそう呟いて早歩きで先に進んでいた楓の横へと並んだ。



「もう駄目…疲れた…睦月…おんぶー」
「何がおんぶだ…!お前、自力で歩けよ!」

澪と楓が再会し、独自のルートで進んで行っている中、と睦月も紗重から逃げながら、
澪を探す為に立花家から桐生家へ繋がっている渡り廊下へ思い出話をしながら向かっている。
その途中の道ではヘタンと座り込んでしまった。
体力に自信があるとは言え、ずっと歩いたままだった為足が限界を訴え始めた様だ。
桐生家に居た頃から足の痛みは感じていたが一緒に居た澪もきっと我慢しているのだろうと思った為、気を使って元気な素振りを見せていた。
が、今は睦月と二人だ。
幼馴染の睦月の前では遠慮なしに甘えられる。

「おぶってー」
「言っとくけど俺…一応、病み上がりなんだぜ?ついさっきまで生前は病弱で死後はずっと立花家から動けない状態の幽霊。
そんな俺におぶれってお前な…いくらなんでも無理。ほら、さっさと歩けよ。」

睦月の言葉についムッとした。
言われている事は正論だ。
もちろん自分が我侭を言っているのはわかっている。
だけど相手は幼馴染の睦月。
睦月がこの村に居ると知った時からずっと探していた。
助けられたと同時に突然の再会に涙し、喜びを噛み締めた。
だからこそ甘えたい。
ずっと長い付き合いなだけに素の自分を曝け出せる相手だから。

「…ってかお前…変わったよな…」
「…そんな事ない!」

睦月の何気ない一言が妙に突き刺さった。
変わった。

そんな事ない。


、昔は俺をグイグイ引っ張っていくくらいだったのに今はおぶれって…変わったと思うぜ?」

少しだけ我侭になったなと冗談交じりで睦月は言った。
しかし、にはその言葉が妙に引っかかった。

「折角、会えたんだし…少しくらい我侭言わせてよ。それが…幼馴染の特権じゃない」

少し笑みを浮かべたの瞳はどこか切なげだ。
変わっていない。
そう思っていた。
だけどやっぱり何か違う気がした。
何が違うのかわかった。
それは自分自身。
ほとんどの記憶が戻ったとは言え、やっぱりまだ思い出せない所がある。
さっきまで思い出話に花を咲かせていたが、所々わからない事が多かった。
その時からずっと感じていた距離感。
変わってしまったのは自分なんだと改めて実感させられた。
何故、百年以上も前の村の人間なのに自分はこうして今も生きているのだろう。
どうしてこの村が闇に包み込まれてしまった日の事を全くと言って言い程覚えていないんだろう。
ずっと考えないでおこうと思っていた事が急に頭の中で過ぎり、不安になってしまった。
変わってしまった自分、それがきっかけで睦月だけでなく、樹月とも距離が開いてしまってるのではないのかと。
そんな事考えても仕方ないってわかっているのだが、睦月と会ってからどうしても不安になってしまう。
ハァ…と一つ溜息を漏らすと睦月が手を引っ張った。
そして無言で自分の方に引き寄せ、抱きしめた。

「…!」

突然の出来事には目を見開いた。
何かの冗談かと思って引き離そうとしたが睦月の腕の力はより一層強くなった。
嫌悪感はなく、睦月の温もりを感じられ本当に生きていると改めて実感し、安心できた。

「む、睦月?」

ただ、あまりこんな風に異性に抱きしめられる事を経験していないはどうすればいいのか戸惑ってしまう。
両手をどこに置けばいいのかわからず宙に浮かせていたら耳元で静かに睦月が口を開いた。

「…ごめん…」
「…え?」

予想外の言葉には更に驚いてしまった。

「お前が…記憶なくしてるのも知ってたのに…思い出話なんかすんじゃなかったな…
不安になったろ…俺や樹月達とお前との間に距離があるんじゃないかって」

睦月の言葉はまるで心を覗いたのではないかと思ってしまう程、の考えていた事を的確に当てていた。

「……うん…」

は恥ずかしさと、悲しさで静かに頷くことしか出来なかった。
すると抱きしめられていた腕の力が緩んで体を離して、クシャッと少し乱暴に頭を撫でられた。

「…バーカ。そんなんで距離なんて出来るかよ。記憶なくなっても…お前はお前じゃねーか」
「…睦月…」

その言葉は不器用ながらとても温かくて、優しかった。

「あー…あと…そのおぶってやる事は出来ないけど手なら繋いで引っ張っていってやるよ…
で、疲れたら…いつでも言えよ。休みながらゆっくり歩いていこうぜ」

それが照れ屋の睦月の精一杯の頑張り。
少しくすぐったく感じたけどすごく嬉しかった。

「ありがとう、睦月」

そしては笑った。
その笑顔は睦月の知っている昔の笑顔と全く変わらなかった。