「ヤバい…本格的にヤバい…」
『だからそんなに悪くないと思うぞ?むしろ初心者とは思えないほど素晴らしいのだ!』
「気休めはやめろって言ってんだろうが!つーか、練習中に出るんじゃねーこの羽虫が!!!」
の叫び声が響き渡る練習室。
焦りと戸惑いが入り混じる。
明日はいよいよコンクール本番。
恋愛革命 05
「あー駄目だ…何だか柄にもなく緊張してるんだけど…あたし…」
『だから普通にいつものお前らしくやればいいのだ。お前はお前の音楽のスタイルを楽しんだらいいのだ』
コンクールまであと一日。
少しでも多くの練習をと思い先程からずっとヴァイオリンを弾いていたが緊張か戸惑いか、いつもの様な音が出せない。
最初は出るのが面倒だったが出るとキメた以上は悔いの無いようにやり遂げる。
それがのモットー。
しかしここ数日練習を積み重ねていったが初心者のは周りの参加者の練習している音楽などを聴いていると徐々に不安になりつつあった。
「あーもういい!今日は練習しない!ぶっつけ本番!当たって砕け!!!」
『砕けって辺りがお前らしいのだ』
「やかましい!」
バタバタと慌しく片付けをしては練習室を後にした。
帰るにはまだ少し早い。
は腕時計を見つめながらパタパタと校舎裏を走りながらこの後どうするか考えていた。
「んー時間まだ余ってるしな…どうしっはぶっ!!!」
腕時計に気取られていたは何かに躓き顔面からこけてしまった。
「っ…あいたた…!ったく…何!?通行の妨げをし…」
は躓いた原因を確認しようとし振り返ると目の前に飛び込んできたのは静かに寝息を立てる少年。
ふわふわと気持ち良さそうなくせ毛により少し小柄な体、そしてチェロ。
制服は音楽科のものだから楽器を持っていてもおかしくはないだろう。
「…もしもーし」
ポンポンと少年の肩を叩く。
それでも規則正しい寝息を立てるだけで起きる気配は待ったくない。
「………おーい。こんな所で寝てたら踏まれるわよ?つーか、風邪ひくよー」
ユサユサと強めに身体を揺らすと少し、眉間に皺を寄せゆっくりと瞼が開かれる。
その少年のライトグリーンの瞳がとても印象的だ。
眠たそうにぼんやりとこちらをジッと見てくる。
「…………」
「…………」
無言が続いた。
は彼が何か喋ると思い黙っているのだが少年は喋ろうとしない。
「…すー…」
「って!寝ちゃ駄目だって!!!」
フラッと後ろに倒れそうになった少年の肩を掴み揺さぶる。
「…あ…すみません…僕…寝てましたか…?」
「うん。思いっきり寝てたよ。むしろあれで起きてるって言われたらあたしも困る」
「…先輩が起こしてくださったんですか…?」
「まぁ、一応。風邪ひいたりしたら駄目だと思って…」
ボーっとした表情でをジッと見る。
そして少しだけほほ笑んだ。
「ありがとうございます…」
(あ…可愛い子だなって思ってたけど笑うと更に可愛い…)
思わず見とれてしまう。
ここ最近は美形揃いなメンバーと出会っている様な気がする。
コンクールの参加者の人達はかなり整った顔をしている。
そして目の前の少年も綺麗な顔立ちをしている。
「…それにこんな所で寝ていたら…誰かが躓いてこけちゃいますよね……でも普通は…そんな人いないですね…」
「ブッ!!!」
「…どうしました?」
「…い、いや…何でも…」
ついさっき躓いてこけた人間がここにいるよと叫びたくなったが恥ずかしさとプライドがそれを許すことはなかった。
はぁーっと溜息を吐いて気持ちを落ち着かせ、仕切りなおした。
「ねぇ、君…名前は?」
「…まだ名乗って無かったですか…?」
ぼーっとした瞳でこちらを見てくる。
どうやら寝ぼけているのもある様だが元々、ぼんやりとした性格のようだ。
「うん…まだ名乗って貰ってないなぁ…まぁ、いいや…先にあたしが名乗る。普通科2年。よろしく」
「…もしかしてコンクール参加者の…?」
「え、あーうん。君も…?」
「はい…音楽科1年…志水桂一です…」
思わずこちらまで眠たくなってきそうなテンポで会話を続ける彼。
少し話し込んだ後、突然、志水はチェロを手に立ち上がった。
「…どうしたの?」
「…いえ、先輩と話してたら…何だか今、いい音が奏でられそうです…」
と言い残しそのままどこかへ行ってしまった。
「……不思議な子…」
天使のような寝顔をしていた志水はとても不思議な子だった。
「こんな所居ても仕方ないし…どっか行こ」
よいっしょっと言いながらヴァイオリンケースを握り締めて歩き出す。
「あいててて…」
先程、こけた時に少しだけ擦りむいた鼻が痛い。
鏡で見ると少し赤くなっている。
「…うっわ…ハズッ…」
はぁーっと溜息を吐きながら歩いていると向こうの方から見慣れた人影を見つける。
「…あれ?火原先輩?」
無意識の内には少し小走りで駆け寄って行った。
気がついたら火原のもとへ駆け寄っていっている自分に少し戸惑いを感じたがきっと彼の笑顔をみるとそんな事も気にならないだろう。
走り続ける足は徐々にスピードが落ちて行き最終的にその場に立ち止まってしまった。
「…………」
遠くからではわからなかったが火原の隣に誰か居る。
制服からして普通科の女子。
長い赤い髪が特徴的な子はもよく知る子だった。
「…香穂子?」
幼馴染の香穂子もコンクールの参加者だ。
当然、同じ参加者である火原とも知り合いであってもおかしくはないだろう。
楽しげに笑っている二人を見て何故か胸がチクッと針で刺されたような感覚がした。
「…………」
どんどんと二人は近付いて来る。
さっきまでは自らが近付こうとしていたのに今は何故か後ずさっている。
「…っ…」
ギリッと奥歯を噛み締め、何も無かったかのように戻ろう。
明日はコンクール本番だ。
やっぱり練習室に戻ってもう一度練習しよう。
苛立ちを感じながらは振り返って何も無かったかのように立ち去ろうとした。
その時…
「あれ?ちゃん!」
「…!」
聞き慣れた人懐っこい声に名前を呼ばれ行き急ぐ足を止めた。
一番会いたくて一番空いたくない人。
振り返る勇気が無い。
「ちゃーん。聞こえてないのかな?」
聞こえてる。
本当は聞こえているが振り返りたくない。
きっと隣には香穂子がいる。
香穂子に会うのが嫌とかそんなんじゃなくて…ただ…
ただ…火原の隣に香穂子が居るという事が嫌なだけだった。
(何でそんな風に思ってんだろ…)
思わず笑いが込み上げてくるほど呆れた。
「こんにちは、ちゃん」
ポンッと肩を叩きながら挨拶してきたのは紛れもなく火原だ。
「……こんにちは」
覇気の無い声で答える。
後ろから小走りでこちらへ香穂子も駆け寄ってきた。
「。何だかこうして会うのって久しぶりだね」
「……そう…だね…」
久しぶりに再会した香穂子に対しても覇気の無い声で答えた。
「向こうからちゃんっぽい子が居るなーって思って何度か呼んだんだけど…聞こえてなかった?」
「え?そうだったんですか…?」
明るくハキハキと喋る火原に対しは小さな声でボソボソッと喋った。
「…気付かなかった…です…」
嘘をついた。
つく必要もないような小さな嘘。
ハッキリと聞こえていた。
むしろ向こうが気付く前からこちらが駆け寄ろうとしていたくらいだ。
気付かないはずがない。
「そっか。ちゃんならいつも気付いてたから。珍しいね」
「…そうですか?…香穂子と仲良いんですか?」
「んーどうだろ…さっき一緒に音合わせてたんだけど…仲良いのかな?
そうだと嬉しいな。あ、俺が勝手に思ってるだけで…迷惑だった?」
「そんな事無いですよ、火原先輩。私の方こそ下手くそだから練習の邪魔じゃなかったですか?」
「とんでもない!すごく楽しかったよ!」
無邪気な笑顔を見せる火原。
いつもと何も変わらない人懐っこい少し幼い明るい笑顔。
火原には笑顔がとても似合う。
そう前々から思っていた。
自身もその笑顔が好きだ。
その笑顔は今も変わらずの好きな笑顔。
ただ違うのはその笑顔は自分ではない他人に向けられているという事。
「…………」
「ちゃん…どうしたの?今日…何だか元気ないみたいだけど」
先程から覇気の感じられないが心配になったのか火原が顔を覗き込んできた。
「っ…優しいんですね…火原先輩って…」
「え?」
「…だけど…その優しさ…って…場合によっては人を傷付けたり…
迷惑に思われたりしてるとか…考えた事ないですか…?」
自分自身何が言いたいのかわからない。
別にこんな事が言いたいわけじゃない。
だけど胸の奥でモヤモヤと感じる苛立ちを抑えることが出来ない。
苦しくて苦しくて、抑えきれない。
「…誰にでも優しくして仲良しって…変じゃないですか?」
「…!」
違う。
こんな事が言いたいんじゃない。
どうしてこんな事言ってるんだろう。
わからない。
「っ…ごめんなさい…違うんです…そんな事が言いたいんじゃなくて…その…」
視線を火原に移すととても悲しげな顔をしていた。
「…あ…」
自分が傷付けた。
それは誰がどう見てもわかる。
そして一番本人がわかっている。
(そんな顔…見たくなかったのに)
きっと今、情けない顔をしているだろう。
酷い事を言ったのは自分自身にも関わらず何で自分が泣き出しそうになっているんだろう。
「…火原先輩…」
香穂子が心配そうに二人を見た。
「ご、ごめんなさい…違うんです…そんなのが言いたいんじゃなくて…ただ…その…っごめんなさい!」
謝ってバッと走り出した。
その場に居るともっと傷付けてしまう。
もっと醜い自分を見せてしまう。
何よりも火原のあんな顔をあれ以上見ていられなかった。
「!!」
香穂子の制止の声が聞こえたが足を止めることなく走り続けた。
傷付けた。
後悔しても言ってしまった事は消せない。
時間は戻せない。
無我夢中で走り続けて人気の少ない夕暮れの屋上へと来た。
ハァハァと息を切らせその場に座り込んだ。
「…サイテー…あれじゃ…ただの八つ当たりじゃん…」
火原の悲しげな顔が脳裏に焼きついて離れない。
それぞれの想いを抱えたまま、コンクールは始まりを告げる。
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